青森県スケート連盟

沿革・設立の経緯
 110年ほど前、雪が少なく厳寒で、空気が乾燥する八戸では、貯水池はどこも格好の天然リンクになった。
 明治の中頃から、旧制八戸中学校や八戸高等女学校では、これらの貯水池で氷上運動会が行われていた。
 当時の八戸高等女学校校長の三田籐吾は、スケート用具を学校に備え、体育の授業に取り入れた。当時としては画期的なことであった。これがスケートがスポーツとして教育現場に取り入れられた最初であり、その後の発展に大いに貢献した。
 そして大正15年(1926)、三田校長らによって八戸スケート協会が設立された。同年には第1回滑氷大会が行われたとある。
 昭和の始まりとともに、スケートは長根リンクへと移り、アイスホッケーやフィギュアの歴へと進展した。
 昭和4年に大日本スケート競技連盟が設立されると同時に、青森県スケート連盟と改称し、平成28年に創立90周年事業を行った。
 
 
 
八戸開催の主な国内競技会

○全日本スピードスケート選手権大会
第 1 回(昭和 4 年度)
第11回(昭和14年度)
第13回(昭和16年度)≪中止≫
第15回(昭和21年度)
第43回(昭和48年度)
第47回(昭和53年度)
第52回(昭和58年度)
第58回(平成 元 年度)
第67回(平成10年度)
第71回(平成14年度)
第80回(平成23年度)
第85回(平成29年度)
第89回(令和 3 年度)
第90回(令和 4 年度)

○全日本スプリントスピードスケート選手権大会
第 6 回(昭和54年度)
第17回(平成 2 年度)

○国民体育(スポーツ)大会冬季大会スケート競技会
第 1 回(昭和21年度)
第 6 回(昭和25年度)
第11回(昭和30年度)
第17回(昭和36年度)
第26回(昭和45年度)
第32回(昭和51年度)
第40回(昭和59年度)
第48回(平成 4 年度)
第55回(平成11年度)
第59回(平成15年度)
第64回(平成20年度)
第66回(平成22年度)
第75回(令和 元 年度)
特別国体(令和 4 年度)
第80回(令和 7 年度)

○日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)
第14回(昭和13年度)
第17回(昭和16年度)
第30回(昭和33年度)
第33回(昭和36年度)
第63回(平成 2 年度)
第69回(平成 8 年度)
第81回(平成20年度)

○全日本実業団(社会人対抗)スピードスケート競技会
第22回(昭和56年度)
第28回(昭和62年度)
第33回(平成 5 年度)
第36回(平成 7 年度)
第41回(平成13年度)
第46回(平成18年度)
第50回(平成22年度)

○全日本マスターズスピードスケート競技会
第 2 回(平成13年度)
第 7 回(平成18年度)
第11回(平成22年度)
第15回(平成26年度)
第23回(令和 4 年度)

○全国高等学校スケート競技選手権大会(インターハイ)
第 2 回(昭和27年度)
第 5 回(昭和30年度)
第11回(昭和36年度)
第20回(昭和45年度)
第25回(昭和50年度)
第31回(昭和56年度)
第36回(昭和61年度)
第44回(平成 6 年度)
第47回(平成 9 年度)アイスホッケーのみ
第54回(平成16年度)
第63回(平成25年度)
第68回(平成30年度)アイスホッケーのみ
第71回(令和 3 年度)
第73回(令和 5 年度)アイスホッケーのみ

○全国中学校スケート大会
第 1 回(昭和55年度)
第 9 回(昭和63年度)
第14回(平成 5 年度)
第21回(平成12年度)
第26回(平成17年度)

○全日本ジュニアスピードスケート選手権大会
第 1 回(昭和51年度)
第 4 回(昭和54年度)
第11回(昭和61年度)
第15回(平成 2 年度)
第21回(平成 8 年度)
第31回(平成19年度)
第44回(令和 2 年度)
第47回(令和 5 年度)

 
 
八戸での国際競技会

○アジア冬季競技大会
第 5 回(平成15年度)

○アジアンオープンスピードスケートトロフィー
2023(令和5年度)

○ジュニアワールドカップ
2020/2021最終戦(令和 2 年度):Covid-19パンデミックで中止
2023/2024最終戦(令和 5 年度)

○世界ジュニアスピードスケート選手権大会
2021(令和 2 年度):Covid-19パンデミックで中止
2024(令和 5 年度)

 
 

 上記のように我が国の主要スピードスケート競技会は、八戸市長根リンクから始まったといっても過言ではない。
 この他、東北大会、スポーツ少年団の栃木県や苫小牧との交歓会、そして県内小・中・高・一般を対象とした数多くの競技会を開催している。
 

 「長根リンク」の愛称で親しまれているスピードリンクは昭和44年(1969年)に天然リンクから人工リンク(「長根パイピングリンク」)となり、その50年後の令和元年(2019年)に国内3番目の室内リンク(「八戸市長根屋内スケートリンク」)へと姿を変え、進化し続けている。